ブログの始まりは何を書こうか迷ったが、やはりこのブログを始めた理由がふさわしいと思った。
サラリーマンは自己啓発が必要
僕は社会に出ると、サラリーマンになった。
無我夢中で働いているうちに ふと、
と思った。
当時は不景気の真っ只中であった。
もし、僕が路頭に迷っても、一つの仕事を求めて多数の人が群がる一団の中から、僕が選らばれる可能性はゼロだと思った。
なぜなら僕は、
からだ。
考えた僕の答えは、
であった。
情報処理技術者試験合格の長い道のり
そこで思いついたのが、情報処理技術者試験に合格することだった。
簡単に合格できる気がした。本を買って、家に帰ってテレビの合間に読んで、1日1時間勉強した。試験の6か月前のことであった。
僕は受験のプロになってしまった
試験の申込みをして、試験に望んだが惜しくも不合格。
半年後、また同じように試験に望んだが、またしてもギリギリ不合格。
何回かこのパターンが続いた。
でも、ギリギリで落ちたのだから、何回か受けると合格する気がした。
そこから僕の目標は試験を受け続けることになった。
が、合格まではたどり着けなかった。
そのうち惰性で試験を受けるようになり、試験当日朝、今日が試験日であることに気がついて、慌てて人に試験会場まで車で送ってもらったこともあった。その頃になると、試験に落ちた口惜しさもなく、合格するという情熱も一切失っていた。
そう、僕は受験のプロになっていた。
聞こえは良いが、いつまでもその試験から卒業はさせてもらえなかった。
流れ作業のように試験手続きをして、試験を受け、不合格を待つだけの人生になっていた。
今から思えば、単に自分の時間を削って無駄な時間を費やしていたと思った。
受験のプロからの卒業
情報処理技術者試験に合格
そんなある日、
という考えが頭を横切った。
その考えがあってから、試験に合格するまでの時間は嘘のように短かった。
そう、次の試験で、あれほど合格まで届かなかった試験に一発で合格したのだ。
今まで無駄に乱発してきたので、本当は一発とは言わないが・・・
試験に落ち続けていたのは自分の甘え
受かったのは、自分で今まで合格できなかった理由に気づいたからである。
資格試験は自己啓発である。入試と違って落ちても人生にとって大きな支障はないと自分に甘くなっていたのだった。今まで僕は、ある程度以上の勉強をして合格の目標が見えてきたと思ったら、自然と手を抜いていたのである。
試験の合否判定のボーダー付近には、同じ点数の受験生がひしめき合っていて、その紙一重が超えられるか越えられないかで合否が決められる。僕はその紙一重での頑張りをやってなかったのである。
それに気づいた僕は試験当日まで一切手を抜かなかった。
それだけである。
合格した時は喜びより、今までの不合格は一体何だったのだろうか?と思う脱力感の方が大きかった。
それから、他の種類の情報処理技術者試験や全くジャンルの異なる試験も受験してきた。
文字通り一発で合格した試験、不合格で悔しくてリベンジして合格した試験もあれば、不合格のままになっている試験、いろいろ経験してきた。
ホームページ作成に興味
僕は地方に住んでいて、近くにあまり就職先はなく、ほとんどの人は都会に出て行く。これが当たり前だと思った。
しかし、いつの間にかこの流れは逆になった。
都会から田舎暮らしをする人が増えた。多分、都会は人が多すぎて、土地の値段も高く、息が詰まったからではないかと思う。
今まで見向きもされなかった田舎の農産物、海産物を買い求めに来る人が増えた。道路が便利になったからだ。
また、田舎でもネットによる情報発信と宅配のコンビネーションで、活気にあふれている地域も増えた。
今まで都会では看板、ネオン等の広告があっても、田舎は看板すら手書きのお粗末なもの、夜は街灯すらなかった。
しかし、ネットによるインフラは、一気に都会と引けを取らない情報発信を可能にした。また都会に住む人も新鮮な野農作物、海産物を手に入れるため田舎のホームページを検索するようになった。
ホームページ作成は意外と簡単
田舎に住んでいる僕もホームページというものに興味が湧いてきた。しかしHTMLという言語がわからなければ無理と思っていた。
しかし、意外とド素人にも簡単にできるらしいことがわかった。昨年から安いサーバーをレンタルして試行錯誤してみたら、意外と簡単にできることがわかった。
デザインはダサいが、僕はそれでも嬉しかった。
目標がないホームページ作成は空しい
しかし、何か目標がないまま、ホームページを作っても空しいだけだった。
そこで、何か題材にして
と思った。
が、僕はスカスカな人生を歩んできて何も記事が書けない。
何かできるものはないかと考えていた。
自己啓発のブログ作成を目指す
前置きが非常に長くなってしまったが、この二つのことが相まってこの自己啓発のブログを始めようと思った。
僕のブログは検索エンジンにも存在を気づかれず、人の目に触れられない可能性もある。大量の情報の片隅に追いやられた単なるゴミとして巨大なサーバーに埋もれているだけかもしれない。
悩むなら突き進む
僕は、悩んで立ち往生していても仕方がないと思う。
転ぶのなら掌を開いて前に転ぶ、起き上がるときは掌を握る。
そうすれば、痛い思いをしても前に進めているし、そうすれば手の中に何かを握りしめているかも知れない。
今一発目のこのブログをアップする前に読み返したが、僕には文才がないと思った。
でも、ブログ作成は何かの知識が得られるのではと思い、始めることにする。